※この記事は『超かぐや姫!』のネタバレを含みます。
『超かぐや姫!』を初見で視聴しました。映像や音楽、ライブシーンはかなり楽しめた一方で、彩葉とかぐやの関係性や物語の積み重ねには、少し物足りなさも感じました。
SNSでかなり話題になっていた作品だったので、自然と自分の中でハードルが上がっていたところはあったと思います。実際に見終わった直後の感想としては、
普通に面白かった。だけど、ここまで話題になるほどだったのか?
というのが一番近かったです。
もちろん、もし公開直後に何の前評判もなく見ていたら、また違う印象だったかもしれません。今となってはその状態には戻れないので分かりませんが、少なくとも今回の初見ではそんな感覚でした。
その中でも一番印象に残ったのは、ストーリーそのものよりも、音楽や映像による「ライブ体験」でした。今回は、そんな初見で感じたことを書いていきます。
- アニメというより、大きなライブを見ている感覚だった
- 彩葉は何でもできすぎて、少し遠い存在だった
- それでも「上を向く」場面だけは強く共感した
- 最初は「竹取物語」の物語とリンクしていく作品だと思っていた
- 次はフォロワーを集めて成長していく話だと思っていた
- 二人の積み重ねがあれば、ライブも別れももっと強くなったと思う
- バトルシーンは面白い。でも少し長く感じた
- 最後はちゃんと「竹取物語」の話に戻ってくる
- アキラの警告表示が少し気になったのも、「村人A」として見ていたからかもしれない
- 彩葉の「何でもできる設定」は、10年間を飛ばすために機能していた
- 初めて聴いた曲では『瞬間、シンフォニー。』が特に好きだった
- 駒沢乃依は、想像していたより普通のキャラクターだった
- まとめ|ライブとして楽しかったからこそ、もっと積み重ねが欲しかった
- アニメというより、大きなライブを見ている感覚だった
- 彩葉は何でもできすぎて、少し遠い存在だった
- それでも「上を向く」場面だけは強く共感した
- 最初は「竹取物語」の物語とリンクしていく作品だと思っていた
- 次はフォロワーを集めて成長していく話だと思っていた
- 二人の積み重ねがあれば、ライブも別れももっと強くなったと思う
- バトルシーンは面白い。でも少し長く感じた
- 最後はちゃんと「竹取物語」の話に戻ってくる
- アキラの警告表示が少し気になったのも、「村人A」として見ていたからかもしれない
- 彩葉の「何でもできる設定」は、10年間を飛ばすために機能していた
- 初めて聴いた曲では『瞬間、シンフォニー。』が特に好きだった
- 駒沢乃依は、想像していたより普通のキャラクターだった
- まとめ|ライブとして楽しかったからこそ、もっと積み重ねが欲しかった
アニメというより、大きなライブを見ている感覚だった
まず良かったのは、映像と音楽です。とにかく曲が多い。ライブシーンも派手で、映像の見せ方にもかなり力が入っています。
『ワールドイズマイン』『メルト』『ray』など、自分が知っている曲が出てくるのも単純に楽しかったです。知っている曲が流れれば、それだけでテンションが上がります。
そんなライブシーンを何度も見ているうちに、途中から自分の作品の見方も変わっていました。最初は当然、主人公である彩葉を中心に物語を見ようとしていました。でも、途中からはそうではなくなった。
自分がツクヨミという仮想空間に入り込んで、その中の「村人A」としてライブを見ている。
そんな感覚に近かったです。
彩葉やかぐやに自分を重ねるというよりも、いち観客として二人の活動を見る。次はどんな曲が流れるんだろう。どんなライブを見せてくれるんだろう。そんな楽しみ方に自然と変わっていました。
別にそれが良いとか悪いという話ではありません。むしろ、自分にとってはこの作品で一番楽しかった部分です。
後から振り返ると、
『超かぐや姫!』は、物語を見る作品であると同時に、ライブを体験する作品だったのではないか
と思います。
そして、そう考えたからこそ、逆に「もっとここを描いてほしかった」と思う部分も出てきました。
彩葉は何でもできすぎて、少し遠い存在だった
一方で、主人公の彩葉にはなかなか感情移入できませんでした。理由は単純で、
何でもできすぎるからです。
勉強もできる。運動もできる。ゲームもできる。音楽までできる。自分からすると、あまりにも遠い存在でした。
見ている感覚としては、少し主人公最強系の作品に近かったです。彩葉なら何でもできる。だから何が起きても、「まあ彩葉ならできるよね」で進んでいく。
そのため、彩葉の苦悩についても、少し外側をなぞっているように感じました。学費や生活費のためにかなり無理をしている。やることが多すぎて精神的にも追い詰められている。そういう状況自体は分かります。
ただ、そこを深く掘り下げるというよりも、
「彩葉はこんな苦しい生活をしています」
という大枠だけを見せているような印象でした。
それでも「上を向く」場面だけは強く共感した
そんな彩葉の中でも、自分がかなり好きだった場面があります。生活が苦しくなり、精神的にも追い詰められているときに、音楽を聴いて目を潤ませる場面です。
そのとき、彩葉は下ではなく、上を向きます。ここがすごく印象に残りました。
自分の感覚では、上を向きながら涙が出そうになるときって、
「まだできる」という気持ちと「もう辛い」という気持ちが半分ずつ残っている状態
だと思っています。
完全に折れてはいない。心のどこかでは、「まだ自分はできる」「まだ頑張れる」と思っている。だから上を向く。でも同時に、体の方はもう限界に近い。だから勝手に涙が出そうになる。その両方が同時に出ているように、自分には見えました。
自分にも、苦しくて涙が出そうなときに上を向いた経験があります。泣きたくない。まだ負けていない。自分はまだできる。そういう気持ちが残っているときほど、上を向く。
逆に、本当に「もう無理だ」としか思えなくなったときは、たぶん自分なら下を向きます。
だから、
上を向く姿勢には「まだできる」という気持ちが出ていて、涙には「もう辛い」という気持ちが出ている。
そんなふうに感じました。
彩葉の天才的な部分にはなかなか共感できなかった自分でも、この瞬間だけはかなり彩葉を近くに感じました。
最初は「竹取物語」の物語とリンクしていく作品だと思っていた
そして、この後に彩葉はかぐやと出会います。しかも、出会ったときのかぐやはまだ赤ちゃんで、そこから彩葉が育てていくことになります。
その中で、幼いかぐやが童話の『竹取物語』を見る場面があります。
月へ帰ってしまうかぐや姫の物語を見たかぐやは、ハッピーエンドがいいというようなことを口にします。
自分はこの場面を見たとき、
「この作品は『竹取物語』と彩葉たちの物語を重ねていく作品なんだ」
と思いました。
自分が連想したのは『リズと青い鳥』です。
『リズと青い鳥』では、作中に登場する物語と登場人物たちの関係が重なっていきます。登場人物自身が物語を自分たちに当てはめながら、自分はリズなのか、それとも青い鳥なのかと考えていく。
『超かぐや姫!』でも、それに近いことをするのではないかと思いました。
物語では、かぐや姫は最後に月へ帰ってしまう。
でも、このかぐやは「ハッピーエンドがいい」と願っている。
ならば、
「月へ帰って終わる『かぐや姫』を、この作品ではどうやってハッピーエンドに変えていくのか」
ということが物語の中心になっていくのではないか。
最初はそんなふうに予想していました。
ただ、その後にツクヨミという仮想空間や、ライバー、推し、ヤチヨといった要素がどんどん前面に出てきます。
すると、自分の中で少しずつ、
「あれ、もしかして『かぐや姫』そのものはそこまで重要ではないのかな」
という考えが出てきました。
幼いかぐやが言っていた「ハッピーエンドがいい」という言葉も、その時点ではかなり重要なものに見えました。でもライバー活動や「推し」の話が強くなっていくことで、
「もしかしたら、自分が思っていたほど『かぐや姫』とのリンクを中心にした作品ではないのかもしれない」
と思うようになりました。
もちろん、実際には終盤でもう一度「かぐや姫」の物語へ戻ってきます。
ただ、初見で見ている自分にはそれがまだ分かりません。
そのため、この時点で一度、自分の中では物語の見方が切り替わりました。
そして次に、
「これはフォロワーを集めながら成長していく話なのかもしれない」
と思うようになります。
『リズと青い鳥』と『超かぐや姫!』は、どちらも作中の物語と「ハッピーエンド」が重要になります。この共通点と違いについては、別の記事で詳しく比較しました。
次はフォロワーを集めて成長していく話だと思っていた
今回、自分はほとんどあらすじを知らずに見ています。
最初は『竹取物語』とこの作品をリンクさせていく物語だと思っていました。でも、ツクヨミやヤチヨ、ライバーや推しといった要素が強くなっていったことで、今度は作品に対する予想が変わりました。
ツクヨミという仮想空間が登場し、ヤチヨカップが始まったとき、
「今度はフォロワーを集めながら成長していく話なのかな」
と思いました。
ヤチヨを推している彩葉。まだそこまで大きな人気を持っていないかぐや。そこから二人で活動し、フォロワーを増やし、人気を獲得していく。そんな成長物語を想像しました。
フォロワー数がそのまま価値になるような世界観も、かなり現代的です。SNSでも、フォロワー数が多ければ、それだけ注目されやすい。
だから、「どうやって人気を獲得するのか」「どうやって人を惹きつけるのか」みたいな部分を深く描いていくのかなと思っていました。
でも、実際にはそこはかなりトントン拍子に進みます。そこで、
「あ、ここもそこまで本題ではないんだ」
となりました。
振り返ると、自分は序盤だけで二度、作品に対する予想を変えています。
最初は「竹取物語とリンクしていく物語」。
次に「フォロワーを集めながら二人が成長していく物語」。
ただ、後から振り返ると、自分がライバー活動をもっと見たかった理由は、単純に「成長物語が見たかった」からではありません。むしろ、
ライブ体験をもっと楽しむために、その前の積み重ねが欲しかった
という感覚に近いです。
二人の積み重ねがあれば、ライブも別れももっと強くなったと思う
フォロワーを増やすために二人で考える。なかなか伸びない。企画を試す。失敗する。それでもまた挑戦する。そして少しずつ観客が増えていく。
そういう過程があるからこそ、最後に大きなライブへたどり着いたとき、「ここまで来たんだ」という気持ちが生まれると思います。
ライブそのものが派手で楽しいだけではなく、
そこへたどり着くまでの過程も含めてライブが気持ちよくなる。
後からこの作品を振り返って、「自分はライブを見る作品として楽しんでいたんだ」と気づいたからこそ、「それならなおさら、この成長部分をもっと描いても良かったんじゃないか」と思いました。
そして、この積み重ねは終盤にも効いてくるはずです。終盤では、かぐやが月へ帰らなければならないという「かぐや姫」の物語に戻ってきます。
当然、ここは作品の大きな感情の山です。ずっと一緒にいた二人が離れ離れになる。本来なら、かなり悲しい場面です。
自分も、「ここはもっと感動してもいいはずなのに」と思いました。では、なぜそこまで悲しくならなかったのか。
見終わってから考えたときに、
二人が一緒に過ごし、一緒に何かを成し遂げてきた時間が、自分の中で十分に積み上がっていなかったからではないか
と思いました。
だからこそ、ヤチヨカップまでのライバー活動をもっと深く描いてほしかった。フォロワーを集める過程そのものが重要なのではありません。
その過程を使って、
彩葉とかぐやが二人で悩み、二人で頑張り、二人で成功する時間
をもっと見たかった。
そうすればライブもより楽しくなるし、その後に、「ここまで二人でやってきたのに、別れないといけない」という悲しさも、もっと強くなったと思います。
自分にとっては、この二つは別々の不満ではありません。
ライブをより楽しくするためにも、別れをより悲しくするためにも、二人の積み重ねがもう少し欲しかった。
ということです。
バトルシーンは面白い。でも少し長く感じた
ブラックオニキスとのバトルも、映像としてはかなり面白かったです。ただ、自分は少し長く感じました。
もちろん、あのバトルにはキャラクター同士の関係性を描く役割があります。兄弟の関係などもあるので、完全に不要だとは思いません。
ただ、作品全体を見たときに、「ここにこれだけ時間を使うなら、彩葉とかぐやの関係性をもっと見たかった」という気持ちは残りました。
ライブと終盤の別れ。自分にとっては、この二つの方が作品の中で重要に感じました。だからこそ、そこにつながる二人の時間をもう少し厚くしてほしかったです。
最後はちゃんと「竹取物語」の話に戻ってくる
ヤチヨカップなどの展開が終わると、物語は「かぐや姫」へ戻っていきます。かぐやは月へ帰らなければならない。
ここで、
「ああ、やっぱりこの作品は『かぐや姫』なんだ」
となりました。
序盤で、幼いかぐやが『かぐや姫』を見ながら「ハッピーエンドがいい」と願ったとき、自分は竹取物語と作品の物語がリンクしていくのだと思っていました。
しかし途中では、ライバー活動やフォロワー争い、バトル、「推し」といった要素がかなり前面に出てきます。
そのため、自分の感覚では一度、「かぐや姫」とは別の物語を見ているような感覚になっていました。
そこから再び、
「月へ帰らなければならないかぐや姫」
という元の物語に戻ってくる。
ここで、序盤にかぐやが言っていた「ハッピーエンドがいい」という言葉も再び意味を持ってきます。
途中では、「もしかしてそこまで重要な話ではなかったのかな」とすら思っていたので、
「ちゃんと最初の『かぐや姫』に戻ってくるんだ」
という感覚がありました。
かぐや自身も、月へ帰って終わる物語をハッピーエンドにしたいと思っている。だから最後にハッピーエンドになること自体には、特に違和感はありませんでした。
自分は、ハッピーエンドかバッドエンドかという結果そのものより、
そこに至るまでの積み重ねに納得できるかどうか
の方が大事だと思っています。
その意味では、結末そのものには問題を感じませんでした。
アキラの警告表示が少し気になったのも、「村人A」として見ていたからかもしれない
終盤、かぐやが月へ連れ去られそうになる場面では、ツクヨミの住人たちが協力して月人と戦います。その中で少し気になったのが、ブラックオニキスのアキラたちです。
戦闘中、アキラたちが一気にパワーアップする場面で警告のような表示が出ます。これがチートや不正行為を示しているのであれば、少しだけ引っかかりました。
もちろん、この場面の本筋からすれば正直かなりどうでもいい話です。かぐやを救うための緊急事態なので、「ルールを破ってでも助ける」という展開自体はむしろ熱い。
彩葉の視点に立って見れば、
アキラたちが規制を破ってまで全力でかぐやを助けようとしてくれた
という感動的な場面として受け取れると思います。
ただ、自分はこの頃にはすでに彩葉の視点ではなく、ツクヨミにいる「いち観客」のような感覚で作品を見ていました。
だからこそ、「これ、超有名なプロゲーマーが人前で不正行為してることにならない?」という疑問が先に出てしまいました。
もし本当にチートだったのであれば、過去の大会や運営からの扱い、その後の活動なども、観客の立場では少し気になります。
その後の『ray』の場面にも普通にアキラが登場しているので、「特に何のお咎めもなかったのかな」とは思いました。
ただ、これは作品の本筋を壊すほどの問題ではありません。
むしろ自分にとって面白かったのは、
こういう細かいところが気になってしまったこと自体が、自分が主人公ではなくツクヨミの観客として作品を見ていた証拠なのかもしれない
ということです。
彩葉の感情に完全に入り込んでいたなら、ここは「助けに来てくれた」という熱さの方が先に来たはずです。でも自分は「ツクヨミの世界ではこれ大丈夫なの?」と考えてしまった。
改めて振り返ると、それくらい途中から自分は「村人A」の視点でこの作品を楽しんでいたのだと思います。
彩葉の「何でもできる設定」は、10年間を飛ばすために機能していた
ここで面白かったのが、最初はあまり好きではなかった彩葉の超人設定です。最後まで見ると、
「この設定だからこそ、終盤の時間を一気に飛ばせたのではないか」
と思いました。
かぐやと別れたあと、物語は長い時間を一気に飛ばします。そしてその先で、彩葉はかぐやを取り戻すためのところまでたどり着いている。
もし序盤の彩葉が、何度も失敗する。自分の才能に悩む。努力してもなかなか結果が出ない。そんな主人公として細かく描かれていたら、ここで問題が出てきます。
視聴者としては、
「じゃあ、この長い年月の間にどうやってここまで来たの?」
と気になってしまうからです。
序盤で苦労する姿を丁寧に見せられていれば、その後の長い年月についても、どんな失敗があったのか。どうやって乗り越えたのか。どれだけ努力したのか。そこを見たくなってしまいます。
でも彩葉は、最初から何でもできる人物として描かれています。だから時間が一気に飛んでも、「彩葉なら、その間もいろいろなことを成し遂げてきたんだろうな」と受け入れやすい。
極端に言えば、
その長い年月を描かなくても、「まあ彩葉ならできるよね」で成立する。
ここでは、序盤から続いていた「何でもできる」という設定がかなり機能していたと思います。
自分は序盤では、その設定が感情移入しづらさにつながっていると感じました。でも最後まで見ると、
終盤で長い時間を思い切って省略するためには、このキャラクター設定が必要だったのかもしれない。
と少し評価が変わりました。
もちろん、これは最後まで見たからこそ分かることです。初見で序盤を見ている自分にはそんなことは分からないので、その時点では普通に、「何でもできすぎじゃない?」と思っていました。
後から振り返ったときに機能していることと、見ている最中に面白く感じることは別だと思います。
初めて聴いた曲では『瞬間、シンフォニー。』が特に好きだった
音楽については、知っている曲が出てきたのも楽しかったですが、初めて聴いた曲の中では『瞬間、シンフォニー。』が特に好きでした。
最初に聴いたとき、
「このリズム、どこかで聴いたことがある気がする」
という不思議な感覚がありました。
Bメロあたりからサビへ向かっていく部分や、サビの終わりで音が畳みかけるように続いていくところです。具体的に何の曲に似ているのかは思い出せません。
音楽なので、似たリズムやメロディーがいろいろな曲に使われること自体は普通だと思います。それでも、「なんかこの感じ知ってるな」という親しみやすさがあって、それが自分にはかなり刺さりました。
もともと自分は、音が何度か連続して畳みかけてくるような曲が好きです。『瞬間、シンフォニー。』にもその気持ちよさがあって、今回初めて聴いた曲の中では特に印象に残りました。
駒沢乃依は、想像していたより普通のキャラクターだった
これは完全に余談です。鑑賞前、SNSで駒沢乃依のファンアートをかなり見かけていました。
かわいらしい見た目だったので、「このキャラクターは何者なんだろう」と思っていたのですが、実際に見てまず、「男だったんだ」と驚きました。
ただ、それ以上に驚いたのが、
思っていたより本編では強く印象に残らなかったこと
です。
SNSでかなりファンアートを見ていたので、もっと物語の中心にいるキャラクターなのかと思っていました。見た目と性別のギャップなど、人気になる理由は分かります。
ただ、初見で見た自分としては、「なんでここまで人気なんだろう?」という感覚も少し残りました。SNSで先にキャラクターだけ知っていたからこそのギャップだったと思います。
まとめ|ライブとして楽しかったからこそ、もっと積み重ねが欲しかった
『超かぐや姫!』は、総合的には普通に面白かったです。ただ、SNSでかなり話題になった後に見たこともあり、「騒がれていたほどではなかったかな」という感覚も残りました。
それでも、映像と音楽、そしてライブシーンはかなり楽しかったです。途中から主人公の目線で見るというより、自分自身がツクヨミの「村人A」になり、観客としてライブを楽しんでいました。
振り返ってみると、自分は序盤から何度も作品の見方を変えています。
最初は、『竹取物語』とこの作品をリンクさせ、かぐやにとってのハッピーエンドを目指す物語だと思っていました。
その後、ツクヨミやライバー活動が前面に出てくると、今度はフォロワーを集めながら彩葉とかぐやが成長していく作品なのだと思いました。
そして最終的には、そのどちらか一つというよりも、自分にとっては「ツクヨミの観客としてライブを楽しむ作品」になっていました。
だからこそ、
そのライブをもっと楽しむためにも、彩葉とかぐやが二人で歩んできた時間をもう少し見たかった。
その積み重ねがあれば、大きなライブへたどり着いたときの達成感も、終盤で二人が離れなければならなくなったときの悲しさも、より強くなっていたと思います。
自分にとって『超かぐや姫!』は、
主人公の人生を追体験する作品というより、仮想空間の中に入って音楽やライブを楽しむ作品
でした。
そんな作品の中で、一番彩葉に近づけたのが、上を向きながら涙をこらえる場面です。
まだできる。でも辛い。その二つが同時に存在している。
上を向く姿勢には「まだできる」という気持ちがあり、涙には「もう辛い」という気持ちがある。
何でもできる天才としての彩葉ではなく、一人の人間としての彩葉を感じられたあの瞬間が、自分には一番印象に残っています。
すごく好きな作品でした!

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